心理学での一般論と個別。「自粛ケーサツ」などの自己肥大
2020-05-19


セイギに内面を絡め取られた人たちもそうなのですが、極めてはっきりしていることとしては「人は意識・無意識の両面において極めて利害に賢い(さとい)」あるいは「狡猾・ずるい」ということがあります。ネズミなどの動物実験でも明らかなように、「賞罰」「報償と処罰」すなわち、高く評価されること、あるいは、電気ショック(あるいは逮捕、拘留、裁判…)などで罰せられることが大変に良く効く、という事実です。ひどい目に会うことが分かると、ヒトはそうしたことをしなくなる…。これが制度化されて「シャカイ」という箱がようやく実体化するので、警察とか検察とか軍隊とかその他、ホーリツという文書を通じて、様々な「社会的装置」(社会学系の人が好む用語)ができあがってくる…。
※日本人の「自粛能力」の高さは国際的には異様ですけれども。

 ところで、匿名での自粛ケーサツ行為に落ちる人たちについては、何かヤムをやまれず、切羽詰まって、そうしたことをしている事情も推測されます。ひどく不安に襲われているといった個人的事情なのかもしれません。本人や身内に感染リスクの高い人がいるとか、いろいろでしょう。私も高齢者としてその気持ちは分かるところがあります。
 それにしても、その人(Aさん)はそうした自粛ケーサツ行為まで、なぜ至ったのでしょうか…。そうみてくると、もう一般論では届かなくなり始めます。必死に自分を守らないと生きていけなかったようなつらい経験があったのかもしれませんし、それは実際はどういう内容で…。ということで、ここから先はキリがありません。

春先の公園の水飲み場…[LINK] (禺画像])

○大昔に読んだ短編に『The Book of the Grotesque』(Sherwood Anderson, 1919)というのがありました。「グロテスクについての本」というタイトルが気になったのですが、「人は何かを信じるとグロテスクになる…」というのが主題でした。文学ではこうした個別のお話しの中に、人の心理の個別的特徴とともに、一般論としての主張をスッと盛り込んでくるわけです。そうしてみると、グロテスクな自己肥大に陥らないように、この反対側にあるものとして、例えば、生き方の「美学」が出て来たりすると、どこかで三島由紀夫の作品とぶつかっていきますが、閑話休題。お後が宜しいようで…。

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