免疫ということ―『免疫革命』をあらためて読みなおして
2020-05-22


先日、テレワーク的に話をしていたら、2003年発行の『免疫革命』講談社インターナショナル/2011講談社α文庫 (著者: 阿保 *1*  安保 徹)の話が出てきました。最近は、PCR検査でのRNAの増幅とか、抗原抗体反応とか、専門的な話がたくさん出てきていますが、今一度あらためて「免疫」の基本について気になりました。
 実は、この免疫革命の話は10年くらい前に聞いていたのですが、その後はあまり意識していませんでした。ということであらためて読みなおしました。
 で、驚きました! いろいろと「やはりそうか…」ということが沢山出てきたからです。
 個人的な事情ですが、かなり以前に肝臓がアルコールを処理しなくなりお酒が飲めなくなりました。そのためクスリもよほどのことがないと服用しなくなりました。クスリの成分は結局は肝臓で分解するわけですが、当の肝臓が非力だからです。
 ということで、数年に1度とか、たまーに病院に行くと「お薬手帳は?」「いえ、クスリは飲んでいないのでありません」と言うと、薬剤師さん達は「…えー、高血圧の薬とかも飲んでいない…変人なのかしら…」といった目つきに変わります。彼らの商売と献身の対象から、はずれているわけですし(^_^;
 野口整体(晴哉の方です)では『風邪の効用』という本があります。実はその本に出会う前から、私は風邪をいつも引き切っていました。一切クスリを飲まず、布団の中でウンウンと一両日ほど唸っているわけです。すると、数日で回復します。ヤレヤレですが、熱を下げて必死に仕事に行くほどの状況でもなかったことが幸いしました。実際のところ、いろいろ調べても「インフルエンザに効くクスリは無い」というお話し。他の人は社会的に必要なのでクスリを飲んで、肝臓を痛めてまでも頑張っているのだなあ…皆様、お疲れ様です―。
 さて、安保先生の考えでは、そうしたクスリ(解熱剤とか)は一時の対症療法で状況をごまかしているに過ぎず、「治癒には繋がっていない」ということです。クスリを飲まない私は、肝心カナメの肝臓を痛めては元も子もないと思っていたので、たいへんに良く分かる考え方なのでした。実際、風邪でウンウンうなりながら数日倒れているというやり方で特に問題なく、この歳までやってきましたし。
 代替医療 (alternative medicine)というように呼ばれている方法には怪しい物がたくさんあると感じますが、時代と共に不思議な機縁で医療そのものも、また治療方法や方向が変わってしまうのも、同じようにややアヤシいところがあります。研究は進むけれども、「治癒(ちゆ)にはつながっていない」(同書より)…。

 突然、心理学の話を入れ込んでしまいますが、だいたい10から15年程度でその当時ブームになっている心理学は廃れてしまいます。そして20年以上も経つと、当時は大流行した何とかセラピーも「何、それ?」ということになっています。若手の心理学者も知らないので次の世代の若者に教えることもありません。
 エゴグラムというのを知っている人でも、それが交流分析から来たということは知らないし、かつてはアダルトチルドレンというと「そうかあ!」だった用語も今は「なにそれ」となっています。現状、はやっているような認知行動療法CBTも似たような運命に墜ちるのでしょう。今は「何それ」となっている心理学死語の例―「ゲシュタルトセラピー」「精神分析」「再決断療法」「普遍的無意識」「社会的証明の原理」「ニューカウンセリング」「人間性(ヒューマニスティック)心理学」「意味への意志(ロゴセラピー)」「全人的医療」「DSM1」「性同一性障害?」などなど死語累々…。
※いまだにひっそりと研究を続けられている研究者の方々、老体の戯言と看破しお許し下さい。閑話休題。

まっ、自分の人生ではあるし、インフォームドコンセントの時代でもあり、憲法で保障されている「愚行権」(というように揶揄されてしまうのですけれども)― それを自分なりに行使していきたいと思います。


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