○阪神淡路大震災…30年たった。PTSD元年でしたね
2025-01-19


1995年1月17日、阪神淡路大震災…。
倒壊した建物からの救出は、2割が消防隊や警察や自衛隊などの公的な組織によるものだったと知りました。そして、救出の8割は…自分も被災した近所の人達が、建物から声が聞こえる!とか、まだ脱出していない!とかで、その状況を見たり聞いたりした、見ず知らずの人も集まってきて助け出した―。
 ふだんは特に懇意にしてたり、特につきあいもない人達が寄ってきて救出された人の方が圧倒的に多かった―。

 建築関係者や工事現場などの人達が、近場からロープや削岩機や電線やその他の工具や機材を持ち寄ってきて、壁を開いたり、コンクリート床に穴を開けたりして、そこに人数が集まって来て助け出した―。凄いことが起きていたんですね…。

○PTSD ポースト・トラウマティック・ストレス・ディスオーダ
    心がひどく傷つく経験の後の強いストレスによる(心的)障害


当時、神戸で震災に見舞われた大学の心理学教授だった方が、その後、福島の大学に再就職。そして不幸なことにそこでは東日本大震災に見舞われた―という体験について、講演をされました。ある心理学会の会長講演でした。
 福島の大学で無事だった建物には、被災した近所の方が逃げてきて、教室や講堂で生活し始めて…というお話をしている最中、会長は突然、固まり話が途絶えました。小さくて聞こえない声で嗚咽し始めていました。
講演会の会場は突然のことにシーンと静まりかえりました。カウンセリングを専門するプロ集団の学会の会長に突然、起きたことでした。
 被災やそれによる様々な喪失体験は、ナントカ・カウンセリングによってお手軽に超えられない重さがあることを痛感した瞬間でした。

○日本国民が初めて「ピーティー・エスディー」という言葉を知った震災でしたー

 ベトナム戦争では、村を焼き払って住民を殺戮したり、ベトコンと闘って殺したり仲間が殺されたりしたアメリカの兵隊達…。その後、帰国しても「アメリカ万歳!」などと国民には賞賛されず、こころがズタズタになりました。それをPTSDと呼んで、心理療法でなんとか改善しようとする専門領域 が起こりました。そして、悲惨な体験が人の心を破壊してしまうPTSDとして専門家の間では知られるようになりました。
 そして、震災直後から、そうしたことを知らない親や教師などにPTSDということがあるのですーと伝えるため、国内の心理学者や専門家達は、連日、小学校や幼稚園や保育園などにFAXを送り続けてました―。
「子どもたちが経験した悲惨なことを、安易に聞き出さないようにして下さい!」と訴え続けたのでした。

 神戸市では、当時、消防車の台数が十分ではなかった、倒壊した建物で通行できず火災現場に行き着けなかった等々の中、倒壊した隣り近所の家々から聞こえる「助けて」の声が、徐々に聞こえなくなる―。「…亡くなってしまった」「…助けられなかった」「自分だけ生き残ってしまった」など、そうした自責の念が深くこころに刻み込まれPTSDに陥ってしまった方は、震災の10年後にもまだたくさん居られました…。
 私達は地震、カミナリ、台風、津波、洪水に襲われる細長い小さな列島に住んでいます―。神戸で震災に遭った若い女性、ランニングをしていると聞いたので「走るのが好き?」と何気に尋ねたら、「…逃げるため」と答えました…。
[つれづれに]

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